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いろいろ記録帖

レアンドロ・エルリッヒの不思議な《スイミング・プール》を鑑賞する|金沢21世紀美術館にて

 この作品を美術の教科書で見たことがある、という人は決して少なくないと思うのだが、どうだろうか。全く知らないという人も、これを機に作品やそれが設置してある美術館に興味を持ってもらえたら嬉しく思う。

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※人物の顔には修正を入れています

 六本木の森美術館で2018年春まで開催されていた、《レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル》。美術手帖の記事によると、会期中の入場者数が60万人を超え、同年上半期の展覧会の中で栄えある1位に輝いたのだという。

 鑑賞者が実際に作品の内部へと入り込むことができ、面白い写真も撮れるという「インスタ映え」の特徴が前面に押し出されたこの展示だが、一人だけでは足を運びにくい……と美術好きの間で話題になっていたのを思い出す。また混雑していたこともあって、鑑賞者が作品そのものとじっくり向き合うのは難しかったのかもしれない。

 大盛況だったこの《見ることのリアル》展はもう終了してしまったが、幸いにも彼の作品をいつでも鑑賞し、体験することのできる場所が日本にある。それが石川県の金沢21世紀美術館だ。

 今回は、そこに恒久展示として設置されている《スイミング・プール》という作品を実際に鑑賞した感想と、レアンドロ・エルリッヒの作品の特徴について書いていこうと思う。美術館自体もとても素敵なところなので、金沢へ旅行や出張で訪れる際にはぜひ、一度立ち寄ることを検討してみてほしい。

参考サイト:

www.kanazawa21.jp(金沢21世紀美術館のサイト)

bijutsutecho.com(Web版美術手帖)

  • 金沢21世紀美術館とは

 石川県の観光名所である兼六園や、金沢城公園にも近い場所に位置している金沢21世紀美術館。駅からも遠くなく、バスに揺られていれば15分もしない間に、円形の特徴的な建物と野外展示物の数々が窓の外に見えてくる。2004年に完成したこの美術館の外壁は全面ガラス張りで、その光を多く取り入れられる造りが開放感を感じさせた。

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廊下から

 建築デザインを手がけたのは、妹島和世と西沢立衛の二人によるユニット"SANAA"だ。ヴェネチア・ビエンナーレでの受賞歴があり、建物の他にも家具や空間デザインなど、幅広い分野で活動をしている。私がロンドンでよく足を運んでいた場所のうちの一つにサーペンタイン・ギャラリーがあるのだが、彼らは2009年に、そこで毎年行われているパビリオンという企画にも参加していたようである。そこでの作品は、銀色の板のような薄い屋根を細い柱が支えて空間をつくるものだった。

 金沢21世紀美術館の建物が円形であるのは、正面や裏側といった区別をせずに、どこからでもアクセスできるような形を採用したからなのだという説明が公式サイトにあった。街と美術館、そしてそこを訪れる人々を繋ぐような参画交流型の施設をめざして、ここでは日々いろいろなアクティビティが行われている。野外では、いくつかの展示物の周囲を走り回って遊ぶ子供たちの姿がみられた。

金沢21世紀美術館:kanazawa21.jp

  • レアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》

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 さて、そんな美術館の内側に入ると、屋根のない中庭のような空間がガラス越しに見える。このスイミング・プールという作品が設置されているのがそこだ。晴れの日は自由にのぞき込んだり周りを歩いたりできるが、雨が降ると安全上の理由で立ち入りが制限されてしまうので注意したい(後述する「内部」にはいつでも入ることができる)。

 プールは蒼い水でいっぱいに満たされているように見えるが――水面の下には、動き回る人影がある。

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水面下の人影

 一体どうなっているのだろうか?いうまでもなく、これはただのプールではない。

 実は、作品はその構造が二重になっている。透明な板の上に薄く張られた水の下部には、人間が入り動き回れるだけの空間が広がっているのだ。これを知らない観客はまずプールを外から眺め、人間たちが中にいることに気付き困惑する。そして、ヒトが呼吸をせず水の中にずっといられるわけがないので、何らかの仕掛けがあるはずだと考えた末にこの作品の構造に思い至るのだ。

 アルゼンチン出身の芸術家、レアンドロ・エルリッヒの作品は私達の認識に強く働きかけるものが多い。視覚や触覚のトリックを巧みに使い、目の前にあるものが一体どのようにして成り立っているのか、そして我々がそれをどうやって認識しているのかを彼は浮き彫りにしようと試みる。加えて、作品自体がそれに触れた人間を楽しませるような遊びの要素を持っており、仕掛けに気付いた観客は思わず「そういうことだったのか」と微笑んでしまうのだ。

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内部から空を見上げる

 美術館の中には地下への入り口が設けられており、階段をおりて進むと水面下へと実際に潜ることができる。こちらをのぞき込む、水の動きに合わせて揺らぐ人影はどこか現実感に乏しい幽霊のように感じられるが、いま下にいる私達も外からはそんな風に見えているのだろう。

 プールの内部には通気口があるのか、ファンの回転するような低く鈍い音がかすかに聞こえた。喋り声や足音などが比較的よく響く。地下室にも潜水艦のようにも思える空間で、人々は思い思いに歩き回り、水面を見上げたり写真を撮ったりする。

 さっきまで自分が上から眺めていた場所に実際に行って、そのまま作品の一部となる体験はとても面白いものだった。それを通して、自分の目に映っている世界が脳の中で、どのように確かな実感として処理・認識されているのかということを改めて考えさせられたからだと思う。

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 この作品は恒久展示物となっているので、金沢21世紀美術館が開館している時ならいつでもその姿を見ることができる。ただし雨の日には作品の周囲を歩けない、ということにだけ留意して、金沢を訪れた際にはぜひ、レアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》を一目見に行ってみることをおすすめする。

作品説明:スイミング・プール|金沢21世紀美術館

  • おまけ:デイヴィッド・ホックニーの《プール》

 余談だが、私には《プール》と聞いて思い出す芸術作品がもう一つある。それがイギリスの画家、デイヴィッド・ホックニーの描いた《芸術家の肖像画―プールと2人の人物―》という絵だ。2018年11月15日のクリスティーズ・ニューヨークで、約102億円という伝説的な価格でこの絵が落札されたのがまだ記憶に新しい。

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"Portrait of an Artist (Pool with Two Figures)" © Christie’s Images Limited 2018

 明るい時間帯の野外のプールと、どういうわけか静かに漂う不穏な雰囲気。幻想的なものはなにも描かれていないのに、この光景が白昼夢のなかに登場するような感じを観る側に抱かせる面白い絵だ。

 プールをのぞき込む男性と水面下に潜っている人影から受ける印象は、金沢21世紀美術館にあるエルリッヒの《スイミング・プール》が持っている要素と、どこか共通する部分があるように私には思えたのであった。ホックニーは他にもプールに関係する作品をたくさん残している。なかでも素晴らしいのは、水しぶきの上がる場面を描いた"The Bigger Splash"だ。ロンドンにあるテート・ブリテンの常設展で、その姿を拝むことができる。