memorandum

記録帖

コッツウォルズ北部の街と村めぐり

 何とはなしに、今年からは備忘録を書く習慣を身につけようという気になった。

 昨年9月の頭、本格的に大学の授業が始まる少し前の時期に、私は幸運にもコッツウォルズの方面へと足を運ぶ機会を得ることができた。その際に訪れたのはチッピングカムデン、ブロードウェイ、ストウ・オン・ザ・ウォルド、そしてボートン・オン・ザ・ウォーターと呼ばれる4つの小さな村で、いずれもイギリス国内外を問わず人気の観光地であり、全てをざっと見て回るのには食事や移動の時間も含めて約9時間ほどを費やしたと思う。

 その日の出発点はバンブリーというコッツウォルズの北端からさほど遠くない場所に位置している街で、私は現在居住しているロンドンからそこへ列車で向かい、送迎に来てくれた知人の車へと乗りこんで日帰りの周遊に出かけた。雨の多い国という称号を賜るイギリスではあっても、この日は良く晴れて気温も安定し、非常に過ごしやすい一日だったと記憶している。

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参考サイト:

Cotswolds.com(公式の観光案内サイト)

LovingTheCotswolds(豆知識やローカル情報など)

  • コッツウォルズの概要

 一般に「コッツウォルズ」と呼ばれているのはイギリスのAONB(特別自然景観地域)に指定されているエリアで、東西に25マイル(約40km)、南北に90マイル(約140km)といったかなり広い範囲を指している(かつて地図を見て、南端がほとんどバースに接する位置まで伸びているのに驚いた記憶がある)。面積としては、イングランド北部に位置する湖水地方に次ぐ広さだ。人類がこの周辺に居住するようになってからの歴史は非常に長いらしいが、最もこれらの村々が栄えていたのは中世、羊毛の交易が盛んに行われていた時代であると言うことができるだろう。それらによってもたらされた富のほとんどが教会の建設に使われたというのも、当時の世相をよく反映している事象だと思う。現在の村の経済を支えているのは観光や農業、加えて羊の育成がいまだに重要な地域の産業であるという。

 ちなみにイングランドで都市間の移動をしてみるとすぐに実感するようになることだが、どこにでも羊がいる。

 羊といえば、"Cotswolds"の名前の由来を紹介する際に「羊の丘」という呼称を使用しているのをよく聞く。もう、耳にするだけでその情景をすぐに思い浮かべることができる。この由来については諸説あるようだが、そのなかでも多く語られているのは"Cots"が「羊(の小屋)」、"Wolds"が「丘陵地帯」へとそれぞれ対応しているというものだそうだ。またCodという古い英語の人名から派生した言葉があり、それにちなんでこの土地が名づけられたと言われることもある。しかしながらいずれの説もはっきりとした裏付けが取れているというわけではなく、その源流は謎に包まれている。

 コッツウォルズのエリア内に点在している村々はさらにそれぞれの特徴や歴史を持っている。訪れた順に情景を思い浮かべながら、主に新しく知ったことなどを書き残していく。

  • チッピングカムデン (Chipping Campden)

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National Trustにより保護されているマーケット・ホール

 「カムデン」の綴りが少しの混乱を招く(CamdenではなくCam"p"den)この村はグロスターシャーに属している。初めて足を踏み入れた私にとってここはコッツウォルズ全体の玄関口のような存在で、真っすぐに伸びた大通りを挟んでかわいらしい宿屋やアンティークショップ、パブや住宅が立ち並んでいる様子は、この地域の雰囲気をおおまかにこちらへと伝えてきた。17世紀に建造されたという上の写真のマーケット・ホールもそのうちの一つだ。ちなみにチッピング(Chipping)は、古い英語でmarketを指す言葉から派生したものらしい。

  20世紀初頭のイギリスと聞いてアーツ・アンド・クラフツ運動(そして、ウィリアム・モリスの名前も)を思い浮かべる人は少なくないと思うが、実はこのチッピングカムデンもその大きな流れの中にこっそりと姿を見せている。時間などの関係で実際に足を運ぶことはなかったが、道を少し逸れた場所にはコート・バーン・ミュージアムという博物館があり、そこではチッピングカムデンと彼らがどのようなかかわりを持っていたのかを垣間見ることができる。

 後で調べてわかったことだが、当時、運動の理念に賛同したデザイナーや作家が手工芸のギルドに集い、1900年代初頭にこの村で生活をしていたのだそうだ。その試みは完全に成功したとは言えず、1908年には移り住んだ彼らの多くがロンドンへと戻ることになる。しかしながら手工業の文化は村に留まり続け、1964年から現在に至るまで、未だに稼働しているワークショップも存在するらしい。アーツ・アンド・クラフツ運動が後世に与えた影響は大きく、遠く離れた日本の思想家である柳宗悦もジョン・ラスキン(産業革命と手工業の関係に言及し、運動に影響を与えた)の著書の熱心な読者として知られている。

 あらゆる場所に人間の活動と作品、その思想の系譜があり、どこかの点で関わりを持っているという言葉にするまでもないようなことが面白い。ロンドン内の美術館(例えばV&A)でアーツ・アンド・クラフツのデザインを鑑賞するとき、これからはコッツウォルズの名がかすかに頭をよぎることもあるのだろう。

博物館のサイト:Court Barn Museum|Chipping Campden|Arts & Crafts Movement

  • ブロードウェイ (Broadway)

 ここでも他の村と同じように、特徴的な蜂蜜色をした石で作られた建物の数々が尖った屋根と煙突を空に向けて、互いにぴったりと寄り添いながらこちらを見下ろしている。前述したとおりこの日はとても晴れていて、青い空が美しかった。このあたりからは人の集まるお昼時ということもあり、車を停める場所を探すのが少し難しくなってくるのだが、運転を他人に任せきりでパラサイトを行っている身としては本当に同行者に頭が上がらなかった。ありがとう。店頭にずらりと野菜や果物類が並んでいたブロードウェイ・デリではおいしいサンドイッチやキッシュ等を提供しているらしいので、次回訪れることがあれば、と気になっている:

 チョコレートやマシュマロを取り扱っているお店がちらほらあり、村のそこかしこから常によい匂いがしていた。村に関する記憶が食べ物に偏っているのは、当時の自分が空腹であったからというわけではないと信じたい。

 ところでコッツウォルズのブロードウェイといえば、代表的な"Folly"のうちのひとつであるブロードウェイ・タワーを連想する。塔自体は村の中心部から少し離れた場所にあるため、そこからの流れで足を運ぶという人の数は少ないかもしれない。実はついこの前まで私が制作のために行っていた調べ物の中にはこの塔に関わる要素が少なからず含まれていた。

 フォリーは、非常に乱暴な説明をしてしまえば「それらしく見えるけれども実はこれといった機能を持っていない」、装飾として造られた建築物やオブジェの総称だ。要するに単なる置き物という存在でありながら、意味ありげなデザインと時代を感じさせる見た目で鑑賞者を"欺く"(私はこの表現を気に入っている)ようなそのあり方に惹かれ、この後に大学の課題で提出したいくつかのスケッチには世界に点在するそれらから解釈したオブジェクトを描いたものを加えた。ブロードウェイ・タワーに関しては冷戦にまつわるエピソードもあり、実際の歴史と、元は単なる飾りであった建物の存在が交差することで生まれる事柄があるということが興味深い。

 ちなみに前述したアーツ・アンド・クラフツ運動の根幹であるウィリアム・モリスと英国を代表する画家であるバーン=ジョーンズ(英国南部のサウサンプトン・アート・ギャラリーにペルセウスの連作を納めた部屋がある)はこの塔をいたく気に入り、1880年代には2人でこの場所を借りていたのだという。特にモリスはここでの滞在に影響されてか、ほとんど同じ時期に、歴史的建造物の保存に対して非常に熱心に取り組む姿勢を見せていた。彼らだけではなく、ラファエル前派の代名詞とも呼べるロセッティも休暇には頻繁にここを訪れていたらしい。そんな彼らの創作の糧となったブロードウェイ・タワーは今もなおコッツウォルズの小高い丘の上に佇んでいる。

ブロードウェイ・タワーのサイト:Broadway Tower atop the Cotswolds, for great viewing, walking and Eating.

  • ストウ・オン・ザ・ウォルド (Stow-on-the-Wold)

 ここでは定番のアフタヌーンティーを楽しむことができた。

 公式サイトによれば、ストウ・オン・ザ・ウォルドはコッツウォルズの村や町の中では最も高い場所(海抜約800フィート、約244メートル)に位置しているという。これは実際に訪れてみてもわかることだが、複数の道路が交差するような位置に造られたこの町が地域の交易の重要な拠点であった、ということは想像に難くない。それでもなお、かつてこの場所で1日のうちにおおよそ2万匹もの羊の売買が行われたこともあったという記録の存在は驚きだ。マーケットの規模がある程度縮小し開催される頻度の少なくなった今でもここを訪れる人々は後を絶たない。

 下の写真に写っているのはその中心地、文字通りにMarket Squareと呼ばれている場所だ。ブロードウェイに引き続き、車を停める場所を探すのに少しの時間を費やした。

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町の中心部

 この町で見ることのできる代表的な歴史的建造物といえば、ひとつはセント・エドワーズ・チャーチを挙げることができる。この石造りの教会が建てられたのはかつてアングロサクソンの木造の教会があった跡地の上であると言われており、時期は11世紀から14世紀の間とかなり幅が広い。加えて教会に塔と採光窓が設置されたのはそれよりも少し後の15世紀頃のことだそうだ。その後も度重なる増改築や改装を繰り返したこの教会は、記事上部の概要に記載したように、羊毛の交易によってもたらされた資金により発展をしてきた。

 17世紀に勃発したピューリタン革命における第一次イングランド内戦の影響を受けたこの町では、セント・エドワーズ・チャーチも決してそれらと無関係ではいられなかったという(英国で留学をしている身でありながら私自身はこの国の歴史にとても明るいというわけではなく、もちろんその事実を恥じているので、こうして調べたことを随時残しておくことを決めた)。第一次内戦が始まった時点で議会派は王党派に対して劣勢であったが、ここストウ・オン・ザ・ウォルドでの戦いでは、議会派はニュー・モデル条例の成立後に結束を強めた末の勝利を収めた。それが3月21日のことである。高校時代の世界史の教師がイングランド内戦について説明していた時の口調を、いまでも確かに思い出すことができるという事実に今、気が付いた。

 この戦いの後に捕虜となった王党派の兵士たちが収容されていたのがこのセント・エドワーズ・チャーチの塔なのであるが、その理由が「しっかりと鍵をかけることのできる建物が町の中でここしかなかった」というものであるのが興味深い(公式サイト内のページ参照)。ちょっと笑ってしまった。

  ちなみにアフタヌーンティーをいただいたティールームはこちら。下部ツイートに付随する画像を見ても分かるように、サンドイッチとサラダからスコーン、ケーキに至るまでかなりのボリュームがある(人はそれを幸せと呼ぶ)。

Lucy's Tearoom

  • ボートン・オン・ザ・ウォーター (Bourton-on-the-Water)

  時に「コッツウォルズのヴェネチア」と形容されることもあるこの村の中心にはウィンドラッシュと呼ばれる川が流れており、そこにかかる小さな橋の数々がかわいらしかった。私たちが訪れた時間帯は夕方で、いまにも沈もうとしている太陽の光が水面に反射し、茂る木の葉の間をすり抜けて目を刺したその情景がはっきりと記憶に残っている。ここも非常に人気のある村で、ツアー会社のプランに組み込まれていることが多いらしく、日本からの観光客の姿も頻繁に確認することができた。

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特徴的な色の石でできた建物

 8月のバンクホリデー(イギリスの休日)になると、ここでは少し変わった伝統行事が執り行われるらしい。それが一体何なのかというと、川の中で開催されるサッカーの大会だ。

 こちらがYoutubeに投稿されている実際の映像である:

  わずか10インチ(25cm)ほどの深さしかないこの川で、人々は地上でそうするようにボールを蹴り、ゴールへ入れようと試みる。100年以上もの間続いているというこの行事の起源は、噂によると(コッツウォルズファンサイトのページ参照)、退屈を紛らわせようとした数人の男たちが川へと飛び込みゲームを始めたことだと言われることもあるらしいが、はっきりとしたことはわかっていない。これらを見に平均して2000人もの観客がその時期にここを訪れるのだという。余談だが、ロンドン地下鉄内で、全く面識のない人々同士がサッカーチームや彼らの戦績について談義を始めるという場面に私は何度か遭遇したことがある。イギリス人はサッカーが好きな人が多い(この国でサッカーのことをsoccerと言おうものならしばかれてしまうので、きちんとfootballという言葉を使うことが求められる)。

 また、ボートン・オン・ザ・ウォーターには規模は小さいが自動車博物館や鉄道模型博物館もあるので、それらに興味のある人やそれに関係したお土産などを探している人におすすめできる場所だ。

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 実は今年のイースター休暇中にコッツウォルズ南部を訪れることができそうなので、非常にわくわくしている。そして次回の旅行の際には現地についてもう少し深く調べてからそこを訪れ、より多くの発見をしたいとも思っている(結局、実際に行ってから好奇心を刺激され、その日の夜寝る前にパソコンと向かい合うことになるだろうけれど)。

2018年5月10日 追記:

 その後、恋人と二人で南部を旅行した際の記録を作成しました。